日常のあれこれ
「ぽにょ」も人魚からイメージを得たと言うことでした。
確かに、魚でもあり、人間にもなれるし、「真実の愛が得られれば人間になれる」というモチーフも、アンデルセンの「人魚姫」と一緒ですよね。
人魚つながりで、「赤い蝋燭と人魚」(小川未明作)を聞いてみました。
(今、朗読物にこってるので…)
子供の頃読んで、暗いお話だったことと、人魚がたくさんの蝋燭に絵を描かされること・・・断片的にそんな感じで覚えていたのですが、実際かなり暗いですね。(~_~;)
暗く冷たい北の海に住む人魚であったお母さんは、自分の子供には明るくにぎやかな人間の世界で暮らさせてやりたいと考える。
人間は情が深く、一度手にかけたものは、無下にはしないということだから、きっと自分の子も、大切に世話してくれるに違いないと思って、自分の子を人間に託す。(山の神社の石段に置いておく)
それを蝋燭作りの老夫婦のおばぁさんが見つけ、人間ではない(人魚である)ことに驚くものの、神様からの授かり物として大切に育てようとおじいさんと話し合う。
娘は、おとなしく綺麗な娘に成長する。
(人魚であることを恥じて、外へは出ない)
たまたま、この人魚に蝋燭の絵付けをさせたところ、教わってもいないのに、とても上手に描き、しかも、この人魚が絵を描いた蝋燭を神社に供え、その燃えさしを持ち帰ると、どんな嵐でも船が転覆しないと評判になる。
多くの客がその蝋燭を求めて買いに来るようになり、人魚は、休みなく絵を描かなければいけなくなる。
とても疲れてつらくなるが、それでも、自分を育ててくれた老夫婦への感謝の気持から、がんばって描き続ける。
ところが、香具師(やし)が、金儲けのためにこの娘を見世物にしようと、老夫婦に大金を積んで娘を売るように迫る。
最初は、断った夫婦も、「人魚は不吉だからこのままだと災難がふりかかる」などと言われ、金にも目がくらみ、人魚の娘を売ることにする。
一度、そう決ると、もう娘への愛着もなく、娘がどんなに売らないでほしいと哀願しても、全く聞く耳を持たず。
香具師が猛獣を入れていた檻を持参して、娘を連れに来る。
娘は、最後に描きかけていた蝋燭を真っ赤に塗る。
娘が連れて行かれた夜、ある女(人魚の娘の母親と思われる)が、蝋燭を買い求めに来て、その娘が真っ赤に縫った蝋燭を買い求めていく。
しかし、金と思って老夫婦が受け取ったものは、貝殻であり、見ると女の姿も消えていた。
娘の入った檻を積んだ船が沖に出たころ、恐ろしい大嵐になる。
それから、赤い蝋燭と点すと嵐になったり溺れ死ぬという言い伝えが起こり、皆が参拝したお宮も鬼門となる。
老夫婦の住む町はすっかり寂れ、ついに滅んでしまったという。
こんな話だったんだ!
海外の童話には、怖い話がけっこうあるけど、日本の童話には、怖いものや残酷なものは少ないけれど、小川未明は、すごい!
かなりのホラー度です。
「神様からの授かり物」として大事に育てておきながら、香具師の言葉にころっと寝返ってしまう老夫婦も、実に「人間らしい」し、人魚の母が、怪談話に出て来るお化けみたいに蝋燭を買いに来るところも怖いし、最後に町が滅んでしまうってところも、ポンと一行ながら恐ろしいです。
小川未明、再認識しました。
確かに、魚でもあり、人間にもなれるし、「真実の愛が得られれば人間になれる」というモチーフも、アンデルセンの「人魚姫」と一緒ですよね。
人魚つながりで、「赤い蝋燭と人魚」(小川未明作)を聞いてみました。
(今、朗読物にこってるので…)
子供の頃読んで、暗いお話だったことと、人魚がたくさんの蝋燭に絵を描かされること・・・断片的にそんな感じで覚えていたのですが、実際かなり暗いですね。(~_~;)
暗く冷たい北の海に住む人魚であったお母さんは、自分の子供には明るくにぎやかな人間の世界で暮らさせてやりたいと考える。
人間は情が深く、一度手にかけたものは、無下にはしないということだから、きっと自分の子も、大切に世話してくれるに違いないと思って、自分の子を人間に託す。(山の神社の石段に置いておく)
それを蝋燭作りの老夫婦のおばぁさんが見つけ、人間ではない(人魚である)ことに驚くものの、神様からの授かり物として大切に育てようとおじいさんと話し合う。
娘は、おとなしく綺麗な娘に成長する。
(人魚であることを恥じて、外へは出ない)
たまたま、この人魚に蝋燭の絵付けをさせたところ、教わってもいないのに、とても上手に描き、しかも、この人魚が絵を描いた蝋燭を神社に供え、その燃えさしを持ち帰ると、どんな嵐でも船が転覆しないと評判になる。
多くの客がその蝋燭を求めて買いに来るようになり、人魚は、休みなく絵を描かなければいけなくなる。
とても疲れてつらくなるが、それでも、自分を育ててくれた老夫婦への感謝の気持から、がんばって描き続ける。
ところが、香具師(やし)が、金儲けのためにこの娘を見世物にしようと、老夫婦に大金を積んで娘を売るように迫る。
最初は、断った夫婦も、「人魚は不吉だからこのままだと災難がふりかかる」などと言われ、金にも目がくらみ、人魚の娘を売ることにする。
一度、そう決ると、もう娘への愛着もなく、娘がどんなに売らないでほしいと哀願しても、全く聞く耳を持たず。
香具師が猛獣を入れていた檻を持参して、娘を連れに来る。
娘は、最後に描きかけていた蝋燭を真っ赤に塗る。
娘が連れて行かれた夜、ある女(人魚の娘の母親と思われる)が、蝋燭を買い求めに来て、その娘が真っ赤に縫った蝋燭を買い求めていく。
しかし、金と思って老夫婦が受け取ったものは、貝殻であり、見ると女の姿も消えていた。
娘の入った檻を積んだ船が沖に出たころ、恐ろしい大嵐になる。
それから、赤い蝋燭と点すと嵐になったり溺れ死ぬという言い伝えが起こり、皆が参拝したお宮も鬼門となる。
老夫婦の住む町はすっかり寂れ、ついに滅んでしまったという。
こんな話だったんだ!
海外の童話には、怖い話がけっこうあるけど、日本の童話には、怖いものや残酷なものは少ないけれど、小川未明は、すごい!
かなりのホラー度です。
「神様からの授かり物」として大事に育てておきながら、香具師の言葉にころっと寝返ってしまう老夫婦も、実に「人間らしい」し、人魚の母が、怪談話に出て来るお化けみたいに蝋燭を買いに来るところも怖いし、最後に町が滅んでしまうってところも、ポンと一行ながら恐ろしいです。
小川未明、再認識しました。
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Re:無題
「八百比丘尼」とか色々ありますね。
「人魚を食べた女」(山崎洋子著)ってのもありますが、それは読んでないな~。
「人魚を食べた女」(山崎洋子著)ってのもありますが、それは読んでないな~。
怖い話ですよね
赤いろうそくと人魚、有名な話で、私も読んでますけど、ある意味、何の救いも無いようなストーリーですよね。
一番ひどいのは人間だと言うことなんでしょうか?
同じ人魚でもアンデルセンのほうは、悲しい話ですけど、人魚の愛の深さが感じられて、まだましです。
日本では、人魚の肉を食べると不老不死になる(いや、不死だけだっけ?)という話があって、八百比丘尼の伝説がありましたね。
でも、童話って、結構ひどい終わり方の話がありますよね。おい、これでいいのかい?!って思ったこともよくあります。
一番ひどいのは人間だと言うことなんでしょうか?
同じ人魚でもアンデルセンのほうは、悲しい話ですけど、人魚の愛の深さが感じられて、まだましです。
日本では、人魚の肉を食べると不老不死になる(いや、不死だけだっけ?)という話があって、八百比丘尼の伝説がありましたね。
でも、童話って、結構ひどい終わり方の話がありますよね。おい、これでいいのかい?!って思ったこともよくあります。
Re:怖い話ですよね
>一番ひどいのは人間だと言うことなんでしょうか?
そうですよね。
人間というものは優しいものだと信じて、子供の幸せを願って人間に託した人魚の母の願いは無残に打ち砕かれ、人間ってひどいものだっていうことですよね。
>同じ人魚でもアンデルセンのほうは、悲しい話ですけど、人魚の愛の深さが感じられて、まだましです。
アンデルセンの方は、人魚の愛の深さもそうだし、王子にしても人魚の気持をわかってあげられなかったけど、悪気があったわけではないですしね。
>でも、童話って、結構ひどい終わり方の話がありますよね。おい、これでいいのかい?!って思ったこともよくあります。
海外の童話は、すごくひどい終わり方のものが多いのですが、日本のものでは珍しいんですよね。
小川未明も、非難された時期もあったようですね。
そうですよね。
人間というものは優しいものだと信じて、子供の幸せを願って人間に託した人魚の母の願いは無残に打ち砕かれ、人間ってひどいものだっていうことですよね。
>同じ人魚でもアンデルセンのほうは、悲しい話ですけど、人魚の愛の深さが感じられて、まだましです。
アンデルセンの方は、人魚の愛の深さもそうだし、王子にしても人魚の気持をわかってあげられなかったけど、悪気があったわけではないですしね。
>でも、童話って、結構ひどい終わり方の話がありますよね。おい、これでいいのかい?!って思ったこともよくあります。
海外の童話は、すごくひどい終わり方のものが多いのですが、日本のものでは珍しいんですよね。
小川未明も、非難された時期もあったようですね。